日本の強い集団意識のルーツは中世の村社会にあった!?
ニャンと室町時代に行ってみた 第3回
江戸時代の「村請制度」のルーツ「惣村」
一味神水から逃散に至るまで、農民たちの活動を支えていたのは強固な連帯意識でした。このような団結を誇る村落を「惣村」と呼びます。中世の荘園には、特権的な名主や地侍、小百姓、作人、下人などさまざまな階層の人々が住んでいました。中世前期までは、名主が村落を牛耳る状態が続いてきましたが、次第に小百姓も村の運営に加わり、共同で村の祭りや山野の利用、用水の維持などを話し合うようになります。
彼らは「村掟」を制定して村落自治を実現したほか、惣村によっては、村人自身が地頭や代官に代わって年貢の徴収を請け負い、領主に納入する「地下請」も行われるようになりました。
かつて荘園領主が一方的に行ってきた村の管理を、農民たちが主体的に行うようになったのです。このような惣村の体制は、室町時代に始まり戦国時代に一般化すると考えられ、やがて年貢・諸役の責任を村全体で負わせる江戸時代の「村請制度」へと受け継がれます。
従来、村請制度は江戸幕府が惣村の力を弱め、武家の権力を村々におよぼすために上から押し付けた制度だと考えられてきましたが、実際は村の生産や生活から領主の干渉を排除しようとする農民たちがつくり出した慣習をルーツとしていたのです。